第9話 (捲簾)
「別にいい。俺は今のままでいい。」
顔に出てたかな。母親には会えない事。
数時間前。
学校で天蓬と別れたものの仕事する気にもなれず、
10年ぶりにある番号に電話をかけた。
8回かけて、やっと出たその声は恐ろしく冷たい。
「もう電話してこない約束でしょ。」
そのまま切られかねない勢いだったので、
語尾に被せて用件を言う。
「悟浄に会ってやれねえか。」
11年前に別れた元嫁から、電話口でも分かるくらいに
大きなため息が漏れた。
「無理よ。絶対無理。」
「俺じゃなくて悟浄のためでもか。」
「あの子に会うのも、あの子の名前聞くのも私には無理。
あの子も私もあんたの叶わぬ恋の、ただの穴埋めだった事
また思い出すの嫌なの。」
「んなこたねえって。お前の事は」
「あんたがどう弁解しようが、結果私がそう感じたんだから同じ事よ。
本当に二度とかけてこないで。この番号、着信拒否にするから。」
そう言うと、ブツッと一方的に切れた。
そんなやり取りがあったのだが。
悟浄は大人だ。キレてくれてかまわねえんだけど。
物わかりが良すぎるのも、逆に辛い。
「別にいい」と言った時の、あの顔。
その顔に、11年前の元嫁の顔が、重なる。
離婚届を出す時の、屈辱に満ちた顔。
今度は学校での天蓬。
まっすぐ俺を見据えて睨んでくる顔。
そして八戒。
初めて会った時の、母親が自分を捨てた事を悟った顔。
いろいろな顔が浮かんでは消え浮かんでは消え俺を責める。
そんな事を考えてたら
自分でも無意識に冷蔵庫をぱたぱた開けたり閉めたりしていて。
「何やってるんですかこんな夜中に。」
天蓬に見つかった。
ベランダ。
この家唯一の喫煙スペースで、男2人、タバコをふかす。
「今日さ、悟浄の奴、母親には会わなくていいとさ。」
「そうですか。」
天蓬の「そうですか」は相槌以上でも以下でもなく
なんの感情も読み取れない。
それからしばらくお互い沈黙し、1本目のタバコが終わって
2本目を取り出そうかとポケットに手を突っ込んだ時だった。
突然、天蓬が首に腕を絡めてくる。
とっさにカーテンがちゃんと閉まってるか確認する。
こんなところガキ共に見られたらどうするよ。
「何しやがる」
「慰めてあげようかと思って。」
唇を近づけてきた天蓬を遮るように、言う。
「そういやお前さ、研究で賞貰ったんだって?」
「この期に及んで、そうやってはぐらかすのやめましょうよ。」
「・・・俺はさ、お前がやりたい事やって、うまいこと結果出せて、
それを肴にうまい酒が飲めれば、それで十分なのよ。」
「なんですか、それ・・・!?」
天蓬のきれいな顔が、歪む。
「俺は、さ」
天蓬の胸ぐら掴んで、自分から顔を近づける。
互いの鼻先がつきそうなくらいの距離で、言った。
「お前がもしどうしても今キスするってんなら、
すでに十分傷つけてるガキ共2人捨てて、仕事も捨ててでも
お前と落ちるところまで落ちてえと思っちまうんだよ。
そういう人でなしだ。俺は。覚えとけ。」
天蓬は目を大きく見開いたまま、動かない。
月明かりで、瞳が少し潤んでるのが分かった。
『叶わぬ恋の穴埋め』
元嫁は電話でこうも言っていた。
『私はあんたが他に女や子供作っても、それでも良かった。
あんたが私達を拠り所にしてて、必ず帰ってくると思ってたから。
でもあんたが心の底から欲しかったものは別にあって、私も悟浄も
あんたの彼女も、その子供も、みんなその穴埋めだったのよ。』
天蓬、お前は気づくのが遅すぎた。そしてその気になるのも遅すぎた。
悟浄を引き取った時は、子供を育てることだけ考えて生きてくつもりだったのに。
教授が死んだ時、何かが弾けた。
お前をそばにおいておきたくて。でも、悟浄がいる。
だから、親子になって、書類で自分の欲を縛り付けて。
自分勝手なのは十分承知だ。
でも俺は自分のエゴを貫く。
「なんて、エゴイストな人・・・。」
部屋に入ろうとする俺の背中で
天蓬が、絞り出すように、つぶやいた。
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実は互いに執着し合っていた天蓬と捲簾。両想いではなく、執着の域。