第3話 接近
「うちは兄貴が戦争で死んでてさ。」
この計画に参加すると決めた時、悟浄が話してくれた。
「ひでえもんだったぜ。虫の息で帰って来て、
傷だらけで兄貴の面影なんてねえの。
結局すぐ死んじまったけど。
だから、兄貴の敵を討ちたいと思って。戦争に行きたいって
言ったんだけど。兄貴があんな死に方したもんだから
家族の猛反対くらってさ。
でもこれでうまくいけば、あの世の兄貴も少しは浮かばれっかなあ。」
淡々と話す悟浄の目を覗き見ると
悲しさと怒りとが混ざったような瞳はいつもより一層紅く感じて。
自分にできることがあれば何でもするのに
と悟能は心の底から思った。
悟能が使用人として捲簾の家に潜り込んで2週間。
捲簾は帰宅する日も時間もまちまちで、滅多に会う事も無く
暗殺計画は行き詰まる中で、前線に立つプレッシャーと緊張感とで
押しつぶされそうになる時はいつも、
悟浄のあの瞳を思い出すようにしていた。
そんな時。チャンスは突然やって来た。
丁度休みの日に、珍しく捲簾から呼び出しがあったのだ。
スーツを新調したいので、腕の良い仕立て屋を探していると言う。
悟能は捲簾と合流して、仕立て屋を案内したら、
その帰りに、捲簾が礼にと上流階級が来るような高級料理店に
悟能を食事に誘った。
「今日は悪かったな。休みなのに呼び出して。
たまたま時間があいてな。
丁度スーツが入り用だったが香港の仕立て屋は分からんし・・・
紹介してくれた上につきあってくれて今日は本当助かったわ。
礼と言っては何だが遠慮しないで食ってくれ。」
捲簾と2人きりで食事。なんてチャンスなんだろう。
このチャンスを逃したら、後はないかもしれない。
もうこの際まだるっこしい真似をしてる場合ではない。
なんとしてもこちらに引きつけて
仲間が潜伏してる『八戒の家』に誘導できれば。
あとは数の利でこの男を殺す事など簡単だ。
そう考えて、悟能は一層集中した。
そうとは知らない捲簾は初めて会った時と同じように気軽い。
こうしてパリッとしたスーツを身に包んでいても
役人には見えなかった。
「いえ・・・でも気に入って頂けて良かったです。
貿易商をしている父が利用していた店なんです。」
そう言って、悟能は微笑んだ。
「へえじゃあ大学辞めて家計を支えてるのか。」
「家計といっても大したものじゃなくて。
今は父と2人だけだし、その父も行商に行ったきり
なかなか戻らなくて。今は家にひとりですけど。」
「勉強に未練はないのか?」
「本当はもっと勉強したかったですけど。
こればっかりは仕方がありませんから。」
食事が終わって、そんな雑談をした後に捲簾がぽつりと言った。
「しっかし。こういう気軽な会話は久々だ。」
「いつもはどんな?」
「俺の周りは堅物の高官ばかりだ。
国の重要な問題や将来について語る。
だが彼らの目にうつるのは皆同じ。恐れだ。そればっかりだ。」
自嘲するように言って、悟能の目を見据える。
今までの気軽な雰囲気と違って、目が、笑っていない。
この男の本性が垣間見えたような気がした。
「遅くなったな。家まで送る。
次の予定まで時間があるしな。」
次から次へと話題を変えて話し込んだら
以外と捲簾も乗って来るから、悟能の狙いの通り
『家』まで捲簾に送ってもらえる事になった。
『八戒の家』とは、夏休みの間中、みんなでお金を
出し合って借りた一軒家だ。
猪八戒 の『父親の商売がうまくいかず大学を辞めた青年』
という設定を基に、寂れた古い屋敷。
電話も引いてあり、今日はその電話で捲簾から呼び出しがあったのだ。
使用人といえど、身辺を調査されるかもしれないし学生寮から
捲簾の家に通う訳にも行かない。
悟能も仲間達も夏休みの間中この家をアジトとして滞在していた。
毎日、悟能が帰宅してから仲間達に捲簾の様子を報告して
暗殺の計画を練るから、他のメンバー達は起きて待っているはず。
車の音にも気づけば、捲簾に送られて来たことも分かるだろう。
『八戒の家』の前まで来ると、捲簾は
「玄関まで送るわ。」
と言って、運転手にここで待つように伝えて車を降りてきた。
捲簾を家に誘い込むまで、もう一押し。
「上がってお茶でも如何です?」
悟能は捲簾を見つめ返して、誘った。捲簾が破顔する。
「次の予定に遅れても、僕を責めないでくださいね?」
まるで娼婦みたいだ。と悟能は思った。
捲簾は、その誘いに乗るように、ゆっくり玄関に近づいて来るが
なかなか家に入ろうとはしない。
もう少し、もう少しで。
悟能はさらに魅惑的な笑みを出力して言う。
「入らないんですか?」
その時。
急に捲簾が悟能の手を取り、引き寄せた。
悟能は一瞬、正体がバレていたのかと思い緊張が走ったが
そんなことはなく。
ぎゅっと抱き寄せられたと思ったら、今度はキス。
「んっ・・・・ぅん・・・っあ」
抑えてたものを一斉に解いたような激しいキスに
拒絶も演技もする事ができず、悟能はされるがままに
唇を吸われて、舌で這われて、なぞられて、嬲られて。
ようやく唇を解放された時は酸欠で息が切れる程の。
捲簾はそんな悟能を見て笑うと
「また電話する。」と一言言って、帰っていった。