第5話(八戒)
悟浄の腕の力が強くて、悟浄の体温が熱くて、
一瞬、すべてがふっとんだ。
「ちょ・・・悟浄、きつい。」
「あ・・・ワリ。」
悟浄がやっと腕を緩めてくれる。
僕は平静を取り戻して、静かに言った。
「心配してくれるのはうれしいですけど、
『CAROL』はデザインにうるさいんです。
校了前に平気でデザイン全部修正入れてくるようなクライアントですよ。
慎重に事を運ばないと。」
「あのなあ。」
悟浄が僕の顔を覗き込む。鼻先数センチの距離で。
真っ赤な瞳。見た事ないくらい強い目。
「クライアントのことは気にすんな。俺が必ずクライアント納得させるから。
だからお前はまず俺を納得させるようないいもん作れ。
みんなで企画練って、一番いいもん作れ。」
僕の両肩を掴んだ悟浄の手が熱い。
「は・・・はい・・・」
気圧されして返事したら、「よし!」と言って
僕の手をぐっとつかんでミーティングルームを勢いよく出た。
ずかずかと歩く悟浄の進む先は制作部のシマ。
「ちょっとみんな耳貸して。」
悟浄の一声で制作部全員が手を止めて悟浄と僕を見る。
「『CAROL』で急遽プレゼンの案件が入った。
締め切りは1週間後。みんな超忙しいとは思うけど
手、貸してくんねえかな。
終わったら飯、おごるからさ。」
悟浄が言うと、何人かのスタッフが手を挙げた。
「いいよ俺今日手空いてるから。」と悟空。
「私も手伝えます。」と八百鼡さん 。
「俺も大丈夫ッス」
「俺も」
「よっし!じゃあミーティングは1時間後の15時から。
それまでに各自資料集め。」
悟空と八百鼡はここ半年の『Gift』の掲載誌集めて。
クライアントと競合の原稿の傾向が分かるようにしておいて。
それ見てミーティングで方向性練ろう。
他の二人は同じ業種の広告集めて。
それ参考にデザイン案考えよう。
なんて言ってテキパキ指示してる。
制作部メンバーも忙しいのに、嫌な顔せずに各々作業に取りかかった。
悟浄の指示が的確だから
ミーティング自体も実にスムーズだった。
ふと気づくとマグカップを持った捲簾常務がニヤニヤしながら
ミーティング室を覗いてる。
「いいから。俺にかまわないで続けろ。」
提案の内容とデザインの方向性が決まって
悟浄がその場ですぐクライアントのアポ取って
プレゼン日も確定して。
「じゃあ悟浄は天蓬部長から別のクライアントで使ったマーケティング資料借りて来て。
データと出力紙で。手を加えれば今回のプレゼン資料に使えます。」
「杉村さんは『Gift』の出版社に交渉。一応締め切り伸ばして。理想は3日延びればいいかな。
あそこは別件であなたに借りがあるから。交渉しやすいはず。」
「デザインは悟空と僕で1案ずつ作りましょう。」
ミーティングは賞味1時間強で終わった。
「以上。作業にあたって質問がある方はなんでも言ってください。
あと準備手伝ってくれたみなさん、ありがとうございます。」
「大丈夫かあ?八戒部長。デザイン作る時間確保できんの?」
ミーティング室を出ながら悟浄が話しかけてくる。
「大丈夫です。方向性もこれで決まったし。プレゼン資料もあなたが作る事になったし。
時間は確保できます。あと今まで『CAROL』のデザイン作ってきたの僕ですから。
これは譲りません。」
「りょーかい。じゃ、頼むわ。八戒、なんか活き活きしてんね。」悟浄が笑って言う。
なんでだろう。楽しくなってきた。
自分の席につくと、真っ先に『CAROL』のデザイン制作にとりかかる。
急ぎの仕事はないから後に回して、気分がのってる内に作っちゃいましょう。
最近『CAROL』の原稿は大幅にデザイン変更することなかったし
部長職についてからは企画とかプロデューサーみたいな仕事が多かったから、
一からデザインを作るなんて久しぶりだ。
17時25分。
まずレイアウト考えて、こんなイメージで。
こういうレイアウト一回試してみたかったんですよね。
18時13分。
そういえばあの素材、こないだ別件で没ったから使おう。
あーこの写真の女性、イメージぴったり。そうそう。段々様になって来た。
19時2分。
ああこの辺にアクセント欲しいかも。どっかにイラスト素材無かったかな?
うーんちょっとこの素材合わないかも。仕方ない自分でイラスト描くか。
夢中でデザイン作ってると息をするのも忘れるくらい。
こういうの本当に久々だ。
・・・26時12分。
『CAROL』や他の仕事を一段落させて帰る間際、
僕は喫煙コーナーのソファに座ってコーンポタージュを飲んでいた。
「あがり?」煙草に火をつけながら悟浄がやってくる。
「ええ。悟浄は?」
「ああ、もうちょいしたら帰る。今日はありがとな。今度奢る。」
「何言ってるんですか。あなたが居なかったら
こんなにスムーズに進んでないですよ。みんなも協力してくれたし。」
「それは八戒部長のためでしょ。」
「そうかなあ。でも久々に楽しかったです。
僕の方が悟浄にお礼したいくらいですよ。
何か言ってくださいよ。食事でもなんでも。ご馳走しますから。」
今日、悟浄あんな風に言ってくれたから楽しく思いっきり仕事ができた。
明日からまたやっていけそうな気がする。企画も部長職の仕事も他の営業との折衝も。なんでも。
悟浄がいたからできた。悟浄がいれば他も頑張れる。
悟浄が・・・悟浄が・・・
悟浄はそーねえ、なんて言いながら煙を吐いていたが、突然
「エッチ1回。」と言った。
今、なんと・・・?一瞬、思考が停止した。
「は?え?なんでそうなるんです?」
「お前のこと好きだから。でも嫌ならべつにいーよ。」
悟浄は照れもせず、おちゃらけてるわけでもなく、ただ優しく、淡々と言った。
「嫌ではない・・・です、けど・・・あの・・・」
「じゃ決まり。『CAROL』片付いたらね。」と言って煙草の火をもみ消すと、
すたすたと業務フロアへと戻っていった。
悟浄が・・・えーと、なに考えてたんだっけ。
自分の顔が熱いのが嫌というほど分かった。