ねえ捲簾。
一体あの時何を言いかけたんです。
「何て顔してんのお前。」
「なんて顔って、どんな顔です?」
「べつに良いけどよ。なんか・・・」
「何か、なんです?」
「いや、なんも?」
そう言って貴方は僕の隣で笑う。その顔が朝日に照らされてまぶしい。
遊び半分で寝てみた。その日迎えた朝があまりにも穏やかで、
自分史上最強に落ち着きすぎて、ひょっとしてこれが
人生最期の日なんじゃ、と思うくらいの。
自分の気持ちもよくよく説明できないのに
含み笑いされてそんなこと言われても困る。
気になるじゃないですか。
何も無ければ、観世音菩薩にお願いだってしなかった。
ただ、ちょっと心配しながら貴方の意識が回復するのを待った。
待てた。多分。
本当は、あなたの心の中なんてどうでもいい。
知らない方が良い。
あの時なんて言おうとしたのか。
それだけ知りたい。貴方の口からでいいから。
彼の精神世界は、相変わらずの、雨。
鬼神の如く向かって来る敵を倒し続ける捲簾と、
ずぶ濡れのまま、それを見てる自分と。
どうしたものか。とてもじゃないが近づけない。
「相変わらずだな、捲簾。」
ふと、隣を見ると男が立っていた。
さすが精神世界。不条理極まりないことに
突然自分の隣に現れたその男は頭から血を流して
首も変な方向に曲がっている。
50代くらいだろうか。軍服に身を包んでいた。
不健康な程に落窪んだ目で、ぎょろりとこちらを睨む。
「お前みたいな血生臭い人間は、淘汰されて当然なんだよ。
・・・お前の部下達を唆すのは容易かったぞ。
鉄壁の信頼関係が出来上がってると思ったか?
残念なことに、皆いとも簡単ににお前への憎悪を募らせた。
そしてお前はあの時の任務で部下達に
殺されるはずだった。事故に見せかけて。
妖怪の群生地にお前一人置き去りにされて。
だが任務から戻って来たのはお前一人。
逆に妖怪に喰われたのは部下達だった。」
男の、悪意に満ちた目。
おそらく、これは現実世界でこの男が捲簾に放った言葉なのだろう。
そういえば以前、聞いた事がある。任務中の殉職などはまれにあるが
部隊が上官一人残して全滅など、大きなニュースだ。
その生き残りが、捲簾だったとは。そしてその事故が仕組まれたものだっとは。
顔全体をひきつらせて、その男は笑う。
「そこがどんな修羅場だったのかは想像を絶するが・・・
お前自身もいくらかその太刀をあびせたのだろう?
自分の、あんなに可愛がっていた、部下達に向かって。」
「だまれよ。」
捲簾がそこに立っていた。返り血まみれで。
まるで獣だ。
獲物を捕らえたその目。なんという殺気。
彼の後ろには、屍が山になっている。その中に、軍服を着た者が。
隣を見ると、あの男は煙のように消えている。
捲簾が、こちらに襲いかかって来た。
「ちょっ・・・・捲簾!」
恐らく僕のことを分かっていないのだろう。
みぞおちに容赦ない一撃を食らって、
体勢を立て直すひまもなく馬乗りでのしかかって来る。
彼が僕の首へと手をかけた、その瞬間だった。
捲簾の記憶が、感情が、走馬灯のように一気になだれ込んで来る。
天真爛漫な子供時代。
そして軍学校時代。教官達の中に、さっきの、あの男。
第一小隊の面々が、捲簾を慕うのと同じように
彼もあの男を慕っていたし、あの男も彼を。
訓練。
任務。
初めてできた部下。
任務。
襲いかかってくる部下たち。
応戦。
教官から放たれた言葉。
教官の妄執。
雨。
人だかり。
かき分けて進む。
だらりと四肢を投げ出して倒れている教官。
じわじわ広がる血だまり。飛び降り自殺。
そして、圧倒的な負の感情。
底なしの自己嫌悪。
一気に伝わった捲簾の過去と感情を、
体が処理しようとしてるのか、
目から水が止めどなく、流れてゆく。
「あっ・・・はっ・・・」
それでもおかまい無しに捲簾の指は僕の首に食い込む。
「ほら、どうした。俺を壊してみろよ。」
捲簾の、歪んだ口元から覗く白い歯。
酸素を求めて、口がわななく。
なにもかもが苦しい。
なのに。
おかしいな。
首を締められているのに、苦しいのに、酸欠なのに。
胸の奥にあるのは。
ただ一度だけ、捲簾と寝た、あの夜のものと同じ。
それが、なだれ込んで来た捲簾の感情に打ち勝って。
『俺を、壊してくれよ。』
どこかから、聞こえた気がした。
だから。
雨ですっかり冷たくなった捲簾の頬を撫でた。
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