自分の額に観世音菩薩の手が、ひたり、と当てられる。
その手は徐々に暖かくなっていって、
僕の意識はすとんと遠のいていった。

気づくと、砂浜にいた。
真っ暗な砂浜は見渡す限りどこまでも続いていて
まるで真夜中の海辺。
悠然と、穏やかに寄せては返す波は
心強いような感じもするし、心細いような感じでもあって。

「ふむ。拒絶反応は今の所無いな。
・・・しっかし。今まで何度か人の意識の中を覗いた事はあるが・・・」
隣で観世音菩薩が遠くを見つめて言った。
「こんな静かでうすら寂しいのは、初めてだ。」

捲簾が意識不明になって2日。
いてもたってもいられなくなって、こうして
観世音菩薩に捲簾の精神世界に連れて来てもらった。
ここはその、入り口。

「いいか、天蓬元帥。その海の中深く潜れば
捲簾大将の、さらに深い精神世界へと入り込めるだろう。
・・・ただ、人の心の中を歩くんだ、
いくつか守ってもらわにゃならんことがある。
これが守れない場合は
お前も捲簾大将の安全も保証しかねる。」

これから捲簾に会いにゆける。そして連れ戻す。
それならどんなに危険な場所でもいい。
望むところだ。

『精神世界ってのはそいつそのものだ。
その世界に入った瞬間、
拒否反応としてお前を攻撃してくることがあるかもしれんが
お前は決して攻撃してはならない。
お前が攻撃すれば、捲簾大将の精神は傷つき、壊れてしまう。

さらに精神世界の奥底にたどり着けば、
お前は捲簾大将の過去、人格、思想に触れるだろう。
そこで下手に同調すればお前の精神は吸収され同化してしまう。
己を強く保つことが大事だ。

そして最後に。
お前の精神がこの男の精神に触れることで
この男にも
お前の過去や心の中までもが奴に伝わってしまうだろう。

・・・・人の心の中なんぞ覗いたって
おもしろ可笑しいものなんかひとつもねえ。
そしてお前のおもしろ可笑しくもねえ心の中も
覗かれちまう。それでも行くか?』

観世音菩薩は僕を真っすぐ見据えて聞いて来た。
僕の過去をも見据えて。

それでも僕は行かなくてはならない。
たとえ僕の過去や心のうちを知られることになっても。
今すぐ会わなければ。
会って聞かなければいけないことが。
だから
観世音菩薩の目を見つめ返して、頷いた。
頷くと、観世音菩薩はにやりと笑って、真っ暗な海を指差した。
「分かった。じゃあ行きな。
道案内はここまでだ。」

暗くて、真っ黒な海。
その海に、ざぶざぶと入ってゆくと、肩くらいまで進んだ所で
何かに足を引っ張られ、強引に海の中へと取り込まれた。

ひたすら苦しい。息ができない。
それだけは覚えてるけど、何をどうしてどうなったのか。
気づくと岩場に打ち上げられていた。
どうやら無事に(?)捲簾の精神世界に入り込めたらしい。
目の前には岩山。そして土砂降りの雨。
相変わらず夜のようで薄暗く
先ほど入り口で観世音菩薩が「うすら寂しい」と
印象を語っていたが、ここはそれに加えて
なんというか、過酷だ。
捲簾の、心の中はこんな土砂降りの雨なのか。
と、胸のあたりがざわついた。

突然。雨の音に負けない不穏な喧噪があたりに響いた。
人の叫び声。獣のうなり声。肉の裂ける音。
これは。
とにかく岩山を上ってその喧噪の方へと向かうと。

捲簾がひとり、闘っていた。

次々と襲って来る妖怪や人と。
彼は刀一本で迎え撃ち、次々となぎ倒していく。
それでも一向に減らない敵達。
現実の捲簾は好戦的で、任務でしばしば楽しそうにしているが
今のその目は、それに加えてぎらぎらと怪しい光を帯びて
戦闘を、というより殺しを、心底楽しんでいるように見える。

胸が、締め付けられた。

彼がいつも見せているへらへらした笑顔の裏側が、これだ。
こんな雨の中で、ひとりで、殺し続けている。
殺しているのは
妖怪や人の形はしていているけど。

本当は

捲簾自身なんではないか。
そう思えて。

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